2023年9月2日香港の至宝、トニー・レオンがベネチア国際映画祭で金獅子生涯功労賞受賞。これまで出演作である『悲情城市』(1989)と『シクロ』(1995)、『ラスト、コーション』(07)は最高賞の金獅子賞を獲得しており、その功績が認められました。
授賞セレモニーでは、映画『ラスト、コーション』でタッグを組んだアン・リー監督からトロフィーを手渡され、会場からのスタンディングオベーションを受け、溢れる涙を両手で拭う子供のような姿が61歳とは思えませんでした。
かつてトニーをインタビューし、作品を観続けてきた私にとっても、今回の受賞は小躍りするほど嬉しいニュースでした。このところ主演作『ブェノスアイレス』(97)などの4K上映でも再び注目を集めるトニー。そこで今回は、過去のインタビューも交え、「責任感の男・トニーのいい人伝説」をお届けします。
「目は口ほどにものを言う」といいますが、トニー・レオンほどこの言葉が当てまる俳優はいないと断言できます。
アジアのカリスマ映画監督3人、ウォン・カーワァイ、ホウ・シャオシェン、トラン・アン・ユンもトニーの瞳に惚れ込んで主演に抜擢しました。
「自分ではよくわからないけど、3人とも僕の目がいいと言ってくれるのは確かですね」
なぜか彼のしゃべる広東語は落ち着いた言葉に聞こえる。他の人が話すと賑やかでトーンが高い言葉なのに不思議です。
トニーがあまりに出演料が安すぎたたため、出演するかどうかかなり悩んだという『シクロ』は、ベトナムを舞台にシクロ(輪タク運転手)と、その姉、詩人と呼ばれるヤクザの3人の感情のもつれをバイオレンスとエロスを交えて描いた作品です。その中で殺し屋に扮するトニーは、ひと言もしゃべらず残忍に人を殺すが、その瞳にはらいつも苦悩や切なさが浮かんでいるのです。
「これまでで1番難しかった役。ほとんどセリフがない中で、内面の思いを閉じ込めたまま、存在感を与えるのに苦労した。でも、自分も感情を閉じ込める、孤独なタイプで、友達も少ないし、灰色の性格だから、詩人との共通点が多いと言えます」
自分のマイナス部分をさらり語られたのに戸惑いましたが、「人生の最大の出来事はカリーナ・ラウ(当時は恋人、現在の妻)との出会い」の発言には正直すぎると驚きました。
さらに、男にとって1番大切なものは責任感と言い切り、「それは仕事に対しても、家族に対しても、彼女に対しても」ときっぱり。
約20年間の交際期間、同棲を経て、2008年カリーナとゴールイン。今回のベネチア映画祭ではふたり揃って、アルマーニのタキシードとドレスでレッドカーペットに登場し注目を集めました。
かつて、「いろんな政治的要素が絡んでくるハリウッド映画には、正直言ってあんまり近づきたくない」と発言していたトニーですが、マーベル映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(21)でハリウッドに進出し高い評価を得ました。背中を押したのはカリーナだったそうで、まさに人生最大の出会いの女神といえそうです。
『ブェノスアイレス』記者会見にジャージで登壇した理由
「責任感の男・トニーのいい人伝説」のエピソードで忘れられないのが『ブェノスアイレス』の記者会見です。トニーのジャージの印象が強烈すぎて、何の記者会見だったかが記憶から飛んでたぐらい。
飛行機が台風の影響で遅れたため、会見が1時間押し。会場はジリジリした雰囲気でした。そこに「いま、トニー・レオンさんが到着されました!」に歓声をあげたのですが、Tシャツとジャージ姿に唖然、実は記者たちを長時間待たせて申し訳ないと少しでも早く会見をスタートさせようと着替えずにそのまま登場してくれたのです。白いタオルで汗を拭きつつ、質問に答えるトニーに大スターなのに飾らなすぎ!と好感を持ちました。
『ブェノスアイレス』は最初、監督のウォン・カーワァイから嘘のストーリーを伝えられアルゼンチンに到着してから同性愛の話でレスリー・チャンとラブシーンもあると聞き激しく動揺したといいます。
そんな尻込みする背中を押したのはカリーナだったそうで「彼女がトライしてみたらと励ましてくれたおかげでこの役をやり遂げられたが自信に繋がりました」
男性とのラブシーンに抵抗はなかったですか?
「最初は、自分にそういう経験もないし、そんな役を演じる力があるかどうか考え、2つの結論を出しました。1つ目は、この役を拒否するという考え。でも、スタンバイしている多くのスタッフに迷惑をかけるからそれはできない。だとしたらやり遂げるしかないと思ったわけです。特に、冒頭のラブシーンは考えすぎると役に入っていけないので勢いでした」
やはり、女性を相手にするラブシーンとは違いましたか?
「こと恋愛においては同性も異性も基本は同じ。ケンカすることだって、嫉妬することだってあるし、そんなに違いはないと思う。だから、今回はレスリーを1人の女性だと思っていました」
映画の中では、レスリー演じる身勝手な恋人に振り回されるトニー。「やり直そう」といわれて、香港からアルゼンチンまで旅に出たものの、彼の浮気癖は相変わらずで、嫉妬と喧嘩で日々が続くだけ…。
「作品の中のレスリーは、安定感に乏しい恋人でしたね。どこかに行ってしまったり、突然帰ってきたり。ただ男は多かれ少なかれ、彼みたいなところがあるんじゃないかな。何か思いつくと周囲の状況がどうあれ動いてしまうと言う…(笑)」
俳優としてレスリーをどう思いますか?
「彼は素晴らしい俳優。愛人同士を演じるわけですから、当然友情が必要になってきます。なるべく一緒に食事をしたり、コミニケーション取るようにしました」
髪を短くしたのは、今回の役作りのためですか?
「髪はアルゼンチン入りしてすぐ、美術監督のウィリアム・チャンに切られらたのです。彼のイメージに合わせたということですね」
健康管理で気をつけていることは?
「食事をバランスよく少量を心がけています。なるべく脂っこいものを食べないようにしているし、ほとんど間食をしません。朝は30分、ジョギングするのが日課で、夜は12時前に寝る生活。最近ハマっているのは卓球。楽しみながら、運動できて、反射神経も鍛えられるから。あとは抵抗力を高める霊芝を飲んでいます」
そんな日ごろの努力の甲斐があって、今回の長期ロケで体調崩さなかったの彼だけと言う優秀さです。ちなみに、料理も得意。カリーナが不得意なぶん、彼が作ることが多いとか。
アルゼンチンでの何か面白いエピソードは?
「面白いと言うより、怖い体験。撮影中に発砲事件に巻き込まれかけたんです。レスリーと暮らす部屋のシーンを治安の悪いラポッカ地区のホテルで撮影していたら、別の部屋の男がいきなり銃を持ち出して暴れだしたんです。もう、スタッフ全員驚いてダッシュで逃げました。そんな危ないところで撮影したがるのが監督の困ったところなんですね…」
トニーがいちばん好きなシーンは、テープレコーダーにメッセージを録画することができず泣いてしまうところ。
「あそこはもともと台詞のない部分。監督から泣くようにいわれたわけではないんですが、自分でも何故だかわからず感情がぐっと高ぶって…」
この男泣きは本当に切なく心を揺さぶられます。
『ブェノスアイレス』では、ウォン・カーワァイ監督も彼の演技には大満足でカンヌ映画祭で主演男優賞を取れるのではと期待していたそう。ところが一票差で受賞を逃す。
「たしかに、その日は悔しいと思いましたが、次の日には消えていました。僕自身、仕事のプロセスを楽しむほうなので結果にはこだわりません。賞をとったショーン・ペンもとても良い演技をしていたし」
それにしても、騙された上に危険な目に合わされながらも、監督の作品に出続ける理由は何なのでしょう。
「一部の監督は俳優がしっかり役作りして、きっちり演じることを要求します。しかしウォン監督は俳優が持っているものを、自然な形で出すことを要求してきます。そこが彼との仕事の魅力なんです」
監督の作品は脚本がないので有名ですが、仕事がやりにくいという事はありませんか?
「監督は、仕事のやり方をしょっちゅう変えます。結局、あの人は自分が何を撮りたいのかわかっていないのだと思います(笑)。現場で考えるのですが、彼の頭の中でストーリーが組み立てられていないのです。でも、彼とは長い付き合いなので、そういうやり方を困難だと感じる事はありません」
寒さに耐えて撮影待ちしていた『東京攻略』
もうひとつ印象的だったのが『東京攻略』(00)の日本ロケ取材でした。季節は2月、有明のゆりかもめの車両基地のは前辺りの長い直線道路。バスの上で次のシーンの撮影を待つトニー。両腕で自分の身体を抱きしめるように寒さを凌いでいたにもかかわらず、スタッフを呼ぶこともなく待機していました。それを見て「スタッフ、誰か気づけ〜!」と念を送っていたのですが、完全放置。日本だと主演俳優の撮影待ちのときは、スタッフが駆け寄ってコートを着せかけるのに、ひたすら耐える姿にまたしてもいい人すぎる!と思いました。
トニーは今はなきホテル西洋銀座がお気に入りでした。グランドピアノのあるスイートルームでインタビューしたとき、ピアノの上にはカードや手紙、プレゼントが綺麗に並べてあり、「ファンからいただいたものです」ととても嬉しそうでした。ファンの想いを大切にしているところにも心を捕まれました。
ちなみに、以前から日本好きでも知られ北海道でスキーを楽しむ姿がたびたび目撃されています。
「観光するよりウィンタースポーツをしたり、街をぶらっと散歩するのが好きです。あと、美味しいものを食べにいく。とくに日本の焼肉は本場韓国より美味しいから気に入っています」
とりわけ「叙々苑」がお気に入りと取材当時は発言していました。
2023年からの今後の公開作は、香港クライムスリラー映画『The Goldfinger(原題)』で、『インファナル・アフェア』(02)で組んだアンディ・ラウと久しぶりに共演。なんと今度は役どころが逆転。トニーが悪人、アンディがヒーローを演じるため、「悪い男を演じるのは、私にとって大きな挑戦でした」と語っていました。
さらに、ヨーロッパ映画界にも進出。『心と体と』(17)や『ストーリー・オブ・マイ・ワイフ』(21)で知られるハンガリー出身の監督エニェディ・イルディコーによる『Silent Friend(原題)』で脳神経科学者を演じます。「脳神経科学者を知るために本をたくさん読み、大学にも足を運ぶ必要があります 。8カ月くらい準備に費やす予定です」
ベネチア映画祭では英語で堂々と受賞スピーチをしたトニー、陰で相当な努力をしていたはずだと思われます。
最近は世界的に人気の韓国ガールズグループ『NewJeans』のMVにも登場。ほんの一瞬ながら凄い存在感を放ち話題をさらったトニー、責任感の強いいい人の人柄そのままに、何事にもしっかり準備して着実に成果をあげるトニー、60代からも躍進が止まりません。
※『香港電影城』シリーズに執筆したものを含めて構成しました。また、取材当時はLGBTQに関する理解が世界的に浅かったため、当事者の方に配慮できていない部分もありますが、トニーの言葉をより多くお伝えするためそのまま転載いたしました。
村上淳子(映画ジャーナリスト/海外ドラマ評論家)
雑誌『anan』のライターとして活動中に香港エンタメに目覚め「香港電影城」(小学館)シリーズに寄稿。著書に『海外ドラマ裏ネタ缶』(小学館)『韓流マニア缶』(マガジンハウス)『韓流あるある』(幻冬舎エデュケーション)ほか。好きな香港俳優はチョウ・ユンファ、レスリー・チャン、トニー・レオン、イーキン・チェン、ニコラス・ツェー。