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散りゆく花 『ロアン・リンユイ 阮玲玉』①

 マギー・チャン(張曼玉)の「レトロスペクティブ」が渋谷Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下で開催(2023年6月16日〜7月13日)、全9作品が上映される。

 年季の入った香港映画ファン、マギー推しのファンには憎っくき恋敵であるフランスのオリヴィエ・アサイヤス監督『クリーン』(マギーはカンヌ国際映画祭女優賞受賞)も上映される。今のところ最後のマギー主演映画だけに楽しみだ。

 僕にとっては『ラヴソング』と並んで最も好きなマギー映画『ロアン・リンユイ 阮玲玉』が4K版で上映される。これが大変心躍る出来事だ。

 『ロアン~』は、日本公開当時に日比谷シャンテ シネで一度見たきりで大変懐かしい作品である。その数年後、1995年出版の「香港電影城1」に記事を書いた。「香港電影城」以外のメディアにもこの映画について記事を書く機会が当時あったので、今回それらを一つにまとめて、多少追記したものを掲載します。 

『ロアン・リンユイ/阮玲玉 4K』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.


中国映画の黄金時代、

1930年代に活躍した伝説の女優を描く

 

マギー・チャン(張曼玉)の代表作『ロアン・リンユイ 阮玲玉』(1991年)は、日本公開時のサブタイトル(ジャッキー・チェンが愛する伝説の女優)に書かれているようにジャッキーによるプロデュース作品。

 香港映画としては異例の長尺(2時間34分)であるこの映画は、サイレントの時代に活躍したある中国女優の生涯をめぐる物語であり、製作当時33歳だった俊英スタンリー・クワン(關錦鵬)監督によるフィクション&ドキュメント映画である。娯楽性重視の香港映画界にとっても珍しい文芸路線の作品だ。

  1930年代当時、上海は東洋のハリウッドと呼ばれ、映画産業において黄金時代を築いていた。ロアン・リンユイは、その上海映画界を代表する聯華影業公司のエース女優として実力・人気ともに頂点を迎えつつあった1935年、24歳の若さで自らの命を絶った。

  そのショッキングな死と、死をめぐる騒動により、女優リンユイは伝説的な存在となった。作家・魯迅も彼女の死を悼んで、その死の原因となったとされるゴシップジャーナリズムを批判したという。

 1935年3月14日のリンユイの葬儀には数万のファンが参列し、彼女の最期を見送った。社会的な大事件だったことがうかがえる。

 1930年代は、日本の中国大陸への侵略が本格化した時代、柳条湖事件(1931年)から盧溝橋事件(1937年)の直前までがロアン・リンユイが活躍した時代だった。

 

 この作品はかなり複雑な構造になっている。

 鑑賞する際にはかなり緊張感が必要だ。

 彼女の死までの6年間をマギー・チャン主演で物語る伝記ドラマパートと、主演のマギーやレオン・カーファイ(梁家輝)ら共演者と監督が登場人物等についてディスカッション(インタビューもある)するパート、そして現存するリンユイ主演のフィルムや当時の彼女を知る関係者のインタビューで構成するドキュメンタリーパートと、この映画はおおざっぱに分けて3つのパートが絡み合いながら進行していく。

(他にも撮影リハーサル中のシーン等もあるが割愛する…)

 

 スタンリー・クワン監督の、事実を多面的に描いていこうという批評的な姿勢がこういう多層的な構造を選んだ理由だと思うが、実際、見ていくとこの構造が作品にぐっと深み与えている。芥川龍之介の小説「藪の中」ではないが、真実は一元的ではない、証言や見方、解釈によって変わってしまうということだろう。

 スタンリー・クワン監督、アニタ・ムイ(梅艷芳)、レスリー・チャン(張國榮)主演の傑作『ルージュ』の脚本家ヤウ・タイ・オンピン(邱戴安平、別名・邱剛健)が本作品でもシナリオを執筆している。

  当初、リンユイ役はマギー・チャンではなく、アニタ・ムイの予定だったという。しかし、アニタが天安門事件の際、表立って学生たちを支援したため、中国政府ににらまれ、中国取材に同行できなかったので、主役交代劇となったとの噂が当時あった。

  マギーの熱演は、そんな交代劇があったとは思えない素晴らしさだ。 

 マギーは、それまで日本ではジャッキー映画(『ポリス・ストーリー』シリーズ、『プロジェクトA2』等々の溌溂としたヒロインとしておなじみの女優であり、どちらかというと日本公開作やビデオ化作品にアクションコメディが多く、元気のいい大げさな身振りの演技が印象的だった。『マギー・チャンのドッカン爆弾娘」(1985年)や『ハッピー・ゴースト サイキック 歌姫転生の巻』(1986年)、『セブンス・カース』(1986年)の頃のマギーも、可愛くて実によかったのだが。

 

 マギー・チャンはウォン・カーウァイ監督との出会いで大きく変貌したようだ。 

『いますぐ抱きしめたい』(1988年)や『欲望の翼』(1990年)で演技開眼したと、自身もメディアのインタビューで語っている。この『ロアン・リンユイ』でも、崩壊していく内面を、抑制の効いた演技で表現して見事だった。もう大女優の風格である。

 しかし、カーウァイ監督との演技開眼の出会い以降も、マギーは『ワンダー・ガールズ 東方三侠』(1993年)シリーズなどでぶっ飛んだ演技を見せてくれて(例えばドラム缶に乗って爆音とともにすっ飛んで行ったり!)、僕は嬉しくて大喝采だったのだが、やがてほぼシリアス作品へシフトしていった…。

 ※付記 その後のマギーはフランスの映画批評家(「カイエ・デュ・シネマ」誌)&監督のオリヴィエ・アサイヤスと1998年に結婚しフランスへ移住、離婚後の2007年にアサイヤス監督作『クリーン』でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞し、のちにカンヌ国際映画祭で審査委員長を務めた。文字通り世界的な大女優となったが、なぜかその後は映画主演作がない。 

 

  『ロアン・リンユイ』に戻ろう。

ロアン・リンユイが女優として花開いた1929年からその死の1935年までは、<サイレント映画期>にあたるが、リンユイは孫瑜、ト萬蒼らそうそうたる人気監督に起用されて、スターへの階段を駆け上る。そんな充実した女優活動とは裏腹に、実生活のリンユイは実に男運の悪い女性だった。(②に続く)

 

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散りゆく花 『ロアン・リンユイ 阮玲玉』② - エンタメパレス (en-pare.com)