マギー・チャンの女優魂
ロアン・リンユイ(阮玲玉)が最後に愛したとされる男は、聯華撮影所の映画監督蔡楚生だ。この蔡監督役をレオン・カーファイが好演している(蔡監督は妻子持ちだったという)。
1934年、蔡楚生監督はリンユイを主演に、知的な女性の新しい生き方(音楽教師で小説も書く才女=新女性)と、ヒロインの私生活を暴こうとするゴシップ記者たちの闇を描いた意欲作『新女性』を撮る。これが上海新聞組合の怒りを買い、内容変更を余儀なくされる(資料によると前年に自死した進歩的な女優・脚本家の艾霞がモデルだという)。
そして、ゴシップ新聞記者たちはその腹いせに主演女優であるリンユイのこれまでの私生活を暴き、彼女を連日口汚く攻撃して、まさにリンユイ主演の映画『新女性』そのままの出来事が起こったわけだ。
リンユイの私生活にもいろいろ問題はあった。彼女には昔からの腐れ縁、金持ちの道楽息子で後にヒモ同然となった恋人・張達民と、妻子あるプレイボーイ唐李珊との間でもつれた関係があった。張達民がリンユイと唐李珊を密通の罪で告訴したことでこれもまたゴシップ紙の格好の餌食となった。
現在でもネット、SNS等での心ない口撃で自ら死を選ぶケースがあとを絶たないが、それも同様だろう。しかし、1930年代の中国上海で起こったスキャンダルで、当時の大スターだった女優がどれほどの傷を心に負ったのかは現在では正直、十全には理解できない。
1935年、3月8日深夜、ロアン・リンユイは睡眠薬を多量に服用、翌日短い生涯を終えた。映画は死に至るリンユイの内面、愛した男たち、周囲の映画人たちの群像、そして当時の中国映画界のバックステージを描いて感動的だ。
バックステージでいえば、1929年に設立された聯華撮影所の内庭がこの作品でセットとして再現されているのも見もの。この聯華撮影所の記念すべき第1回作品『故都春夢』(孫瑜監督)は、リンユイのスターへの最初のステップになった映画だという。いわゆるアールデコ風壁画を背景とした、堂々たる内庭だ。
1933年は、中国国民党軍が一時的に日本軍と休戦していた時で、蒋介石が「反日映画」の製作を上海映画人たちに禁止していた。この映画でもそのエピソードがカリーナ・ラウ(劉嘉玲)によって演じられている。
ディスカッションパートでレオン・カーファイが、自身の演じている蔡楚生監督に関してスタンリー・クワン監督に対し、やや苛立った感じの発言をしている。「彼が上海を離れようとしなかったのは臆病だったからなのか?」と。リンユイを連れて逃げていれば彼女は死なずに済んだということなのか。ここらあたりの俳優と、演じる役との葛藤も興味深い。
個人的に好きな俳優であるレイ・チーホン(李子雄)が伝記ドラマパートで映画製作者・黎明偉役を演じている。黎明偉は、香港に初めて映画会社を設立した「香港映画の父」と呼ばれる人物で(日本・横浜生まれ)、香港島・天后駅そばの路地「銀幕街」には彼が設立した「民新影片公司」があったという。今は跡形もなく、通りに名を残すのみだ。以前、香港島のこの通りに行って「銀幕街」の看板の写真を撮ったことがある。レイ・チーホンはほんのちょい役だが印象的だ。
伝記ドラマパートでマギーが映画(『新女性』)を撮影中のリンユイを演じる。このシーンは複雑な入れ子の構造となっている。マギーはサイレント映画ならではの演技をここで披露する。リンユイが演じる劇中の死のシーンだ。そして次に実生活でリンユイが自死して果てるシーンを演じる。圧巻の演技である。マギーの女優魂の結晶ともいえる。
僕はファッション史について知識がないが、マギーが身に着ける1930年代の衣装がゴージャスで、170センチ近いマギーのスタイルの良さがよく映えている。
香港映画史の中でもきわめてユニークな作品で必見だ。
そしてなによりもマギー・チャンが輝いている映画である。
「マギー・チャン レトロスペクティブ」公式サイト
www.bunkamura.co.jp/cinema/lineup/23_MaggieCheung.html
(2023年6月16日〜7月13日 渋谷Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて開催)
柚木 浩(コミック編集者/映画ライター)
『香港電影城』シリーズの元編集者&ライター。
香港映画愛好歴は、『Mr.Boo!』シリーズを日本公開時に劇場で見て以来か。
火が点いたのは『男たちの挽歌』『誰かがあなたを愛してる』『大丈夫日記』あたりから。
好きな香港映画は80年代後半~90年代前半に集中しているが、ジョニー・トー作品は別格。
邦画、洋画、韓国映画、台湾映画も見る。ドラマは中国時代劇、韓国サスペンス系、
『ブリッジ』『キリング』など北欧ミステリー系も好き。