エンタメパレス

映画、海外ドラマ、本を中心に、執筆メンバーの激推し作や貴重な取材裏話など、エンタメ好きの心に刺ささる本音どっさりのの記事をお届けします。

香港の歌姫アニタ・ムイの生涯

イントロダクション

 2022年7月17日、第40回香港電影アカデミー賞の発表が発表され、映画『アニタ 梅艶芳』が助演女優賞、音響効果賞など5部門で受賞した。

 アニタ・ムイを熱演したルイーズ・ウォン(王丹妮)が主演女優賞を逃したものの新人賞を獲得したのは実にめでたい!

 2022年4月から「Disney+ (ディズニープラス)」で香港の不世出のスター、アニタ・ムイの生涯を映画化した『アニタ:ディレクターズカット』が配信されている。

 映画は2021年、香港で劇場公開され、記録的な大ヒットとなったという。

 昔ならば、この1本を見るために香港に出かけただろうが、コロナ禍ではそうはいかない。日本での劇場公開を待ち望んでいたが、なかなか封切りの噂を聞かなかった。

 そんな時に、劇場公開版より40分長いディレクターズカット版が3話形式で配信された。特に80年代からの香港映画(芸能)ファンには懐かしさも含めて涙を禁じ得ない作品である。

 今回、アニタ・ムイについて書いた古い記事を投稿することにした。

 彼女が亡くなった直後の2004年初め頃に書いた文章で、アニタのプロフィールと生涯を、映画を中心に短く紹介したものだ。とにかくカッコいい女性だった。再読して若干手を入れたがほぼ当時のままとした。             

アニタ・ムイの映画主題歌・挿入歌が収録されている。彼女の歌の魅力が詰まったCD。レスリーの代表作『欲望の翼』や自身が主演した『川島芳子』『ワンダー・ガールズ 東方三侠』の主題歌など香港映画好きにはこたえらえない一枚だ。

  Anita Mui 梅艶芳

 1963年10月10日誕生(03年12月30日死去。享年40歳)

 

アニタの死と香港

    2003年の香港は、大きな災厄に見舞われ通しの1年だった。

 3月にはSARS感染症パンデミックが勃発、その波はアジア全土から世界に広がった。香港への観光客は激減し、観光に関わるビジネスが大きく停滞した。

 4月には、香港芸能界の兄貴分ともいえるレスリー・チャンが投身自殺を遂げた。

 それら暗雲の立ち込める中で暮れようとしていた年末の30日に、今度は香港芸能界の姉貴分ともいえるアニタ・ムイが、40歳の若さで逝った。

 2003年の香港をまさに象徴するようなニュースだった。日本でいえば、まったく世代は違うが、美空ひばりが死去したような感じだろうか。

 80年代から香港芸能界をリードしてきた偉大な歌手・俳優であるアニタとレスリー。二人が亡くなったショックは、香港のみならず日本を含めた世界のアジアエンタメファンに衝撃を与えた。

 二人ともまだまだ働き盛りの年齢であると同時に、演技者としても渋さや深みが増していく時期での死はあまりにも惜しい!

 アニタは、前年の9月に子宮頚がんであることを公表し、秋には病をおして香港コロシアムで大規模なコンサートを開いていた。

 また、報道によると中国映画界の巨匠チャン・イーモウは、当時企画していた新作『LOVERS』(チャン・ツィイー、アンディ・ラウ、金城武共演)の重要な役にアニタを熱望したが、その前に病に倒れ叶わなかった。

芸能界デビューまで

 アニタは、1963年に香港で生まれた。

 兄2人と姉3人。母が音楽や芸能好きだったため、その影響を受けて、幼児の頃から歌や踊りの上手な子供だった。

 幼いころに父親を亡くしたためなのか、4歳くらいから舞台に立っていたという。

 18歳のときに、香港のメジャーTV局TVB主催のタレントコンテントに出場、見事3千人のなかからグランプリを勝ち取り、その年、本格的に歌手デビューを果たす。

 おりしも、山口百恵主演のテレビドラマ「赤いシリーズ」が香港でも放映され、彼女の歌ともども大人気となっていた時代で、アニタは山口百恵のカバー(広東語曲)で売り出した。

 細身でファッショナブルだが、若いながらも女の色香とすごみと確かな歌唱力を備えたアニタは、山口百恵とは容姿というより迫力や雰囲気がよく似ていた。

 今聴いても、アニタの歌う「ロックンロール・ウィドウ」や「イミテーション・ゴールド」などは本家版とは少しニュアンスは違うがしっかり自分の歌にしている。アニタは、百恵の大ファンであることを公言しているが、同時に西城秀樹のファンであることもよく口にしていたという。日本で花開いたアイドル文化が当時の香港芸能界をも席巻していた。

アニタ、映画界へ

 映画デビューは、『表錯7日情』(83)。イップ・トン主演のラブコメディだが、香港電影アカデミー賞主演女優賞・脚本賞を受賞した作品で、アニタは脇役出演ではあるがおかげで大きな注目を浴びた。

 続く、『君が好きだから』(84)では、当時ピカピカアイドルだったレスリー・チャンと初共演、のちの名コンビぶりを予感させた作品だった。アニタは、大好きなレスリーに振り向いてもらえない切ない女性を好演して、映画界でも着々と地位を築いていく。レスリーをマギー・チャンに譲るシーンでは、それまでのコメディ風の装いから打って変わった黒ずくめの衣装で登場して、そのシックな変身ぶりに目が離せなかった。

 レスリーとアニタは生涯の親友といわれているが、下積み時代からの仲だったという。

 (※『アニタ』にはそのあたりがしっかり描かれている)

 80年代半ばから後半は、香港映画に活力があった時代だけに、アニタもアーバンコメディからアクション、そしてホラーまで縦横無尽の活躍ぶりだった。

代表作『ルージュ』他

 日本でも映画祭などで公開され、ビデオ化され、アニタの知名度はぐんと上がった。その時期の名作に、レスリーと共演した名作『ルージュ』(88)がある。

 その後、世界で注目される映画作家となったスタンリー・クワン監督、ジャッキー・チェン製作のこの映画は、日本では長らく幻の名作といわれていた。映画祭で上映されたきり、90年代半ばまでビデオ化されなかったからだ。

 1930年代と現代が交錯する設定で、アニタは、昔、ある金持ちの若旦那(レスリー)と心中した芸妓役である。心中したはずのレスリーが黄泉の国で見つからず、彼を探して現代にさまよい出た、という設定で、幽霊のアニタを助けて、現代の若いカップルがレスリー探しに協力する。

 第二次大戦前の香港の娼館を再現した美しいセットと、当時の歌をうたうアニタの恍惚とした表情が素晴らしく、衝撃のラストまで息をつかせぬ展開である。アニタの代表作はこの映画だ。

(※映画『アニタ』にはスタンリー・クワン監督も登場する)

アニタの代表作『ルージュ』。必見の映画です。写真はジャッキー・チェン経営のスターショップで購入したポストカード。

 日本公開されたメジャー作品では、おなじみジャッキー・チェン監督・主演の「ミラクル」(89)があり、1930年代上海のナイトクラブ歌手を演じて、粋で痛快な姐御ぶりだった。

 同年、時任三郎が出演した『アゲイン 明日への誓い 男たちの挽歌Ⅲ』(チョウ・ユンファ、レオン・カーファイ共演)で魅惑のヒロインを演じてこれも大変な話題となった。ベトナム戦争さなかのサイゴンを舞台にしたノワール映画だが、むしろ男たちよりアニタ扮するヒロインがマシンガンを撃ちまくり、男たちを助けて大活躍するスーパーウーマンぶりが魅力で、サイゴン陥落のラストシーンでは、アニタが熱唱する近藤真彦のカバー曲「夕日之唄」が流れる。

 近藤真彦の代表曲だがアニタにとっても代表曲となった。近藤真彦との繋がりについてはここではあえて触れないでおく。

アニタが戦うヒロインを演じた映画『アゲイン 明日への誓い 男たちの挽歌Ⅲ』(日本公開時のチラシ)

円熟期

 90年代に入り特記しておくべきは、天安門事件で弾圧された学生たちを支援したことだ。

 アニタは、はっきり自分の意見を言い、主張をきちんとする女性で、そんなところも香港の庶民に慕われ、愛された理由だろう。

 そのゆえ一時中国入国が許されず、本土で撮影したスタンリー・クワン監督の意欲作『ロアン・リンユイ』に出演できなかったという報道があった。

 しかし、アニタは90年代に入って数々の大作・話題作に出演し、変わらず盛名を誇った。

 ユン・ピョウと共演した『愛と欲望の街 上海セレナーデ』(90)、あの有名な大戦中の女スパイ川島芳子に扮した『川島芳子』(90)、赤井英和共演の『さらば英雄 愛と銃撃の彼方に』(91)など、激動の時代のヒロインを演じ、94年には、ジャッキー・チェンの大作2作にも出演した。 94年『酔拳2』、95年『レッド・ブロンクス』だ。なかでも、後者はアメリカでもヒットして、アニタも世界の注目を浴びた。

 90年代後半には、年齢のこともあり、しっとりと落ち着いた妻の役などを演じはじめて、ファッショナブルできらびやかだったアニタとは雰囲気をガラリと変え、演技的にも新生面を打ち出した感があった。

 名匠アン・ホイ監督の家庭劇『男人四十』(02)では、アニタは悲しく心にしみる、抑制された演技を見せてくれた。

 これからのアニタ、新しいアニタを予感させる演技であったが、病はすぐそこまで迫っていた。

そして…旅立ち

 2003年4月、親友レスリーが投身自殺。

 重い病の床にあったアニタはそのニュースを聞いてどんなに悲しんだだろう。

 そして、運命の12月30日、アニタは静かに息を引き取った。

 奇しくも姉と同じ病(子宮頸がん)、同じ40歳での死であった…。

 香港芸能界に一つの時代の終わりを告げた出来事だった。

 

柚木 浩(コミック編集者/映画ライター)
『香港電影城』シリーズの元編集者&ライター。
香港映画愛好歴は、『Mr.Boo!』シリーズを日本公開時に劇場で見て以来か。
火が点いたのは『男たちの挽歌』『誰かがあなたを愛してる』『大丈夫日記』あたりから。
好きな香港映画は80年代後半~90年代前半に集中しているが、ジョニー・トー作品は別格。
邦画、洋画、韓国映画、台湾映画も見る。ドラマは中国時代劇、韓国サスペンス系、
『ブリッジ』『キリング』など北欧ミステリー系も好き。