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『さらば、わが愛/覇王別姫』~男が男を愛するとき

 レスリー・チャン(張國栄)が亡くなったのは2003年4月。今年は没後20年になる。(以前Twitterにも書いたが)80年代や90年代は、香港に行くたびにレスリーの新作映画を見る機会があった。劇場(戯院)にワクワクしながら通ったものだ。

 レスリーのニューアルバムや映画の主題歌集なども、当時はカセットテープやCDで手軽に買うこともできた。途中、一度は歌手活動を引退したけれど、その後カムバックし、香港でも日本でも(!)コンサートを見ることもできた。アイドルショップではレスリーグッズがたくさん買えた。それが当たり前、普通のことだったので、当時はその輝くような幸せに気付いていなかった。

 4年くらい前からかだろうか、しきりにレスリーが今生きていてくれたらなと思う出来事が世界で立て続けに起こった。この残酷な世界の現実の中でレスリーはどんな反応をし、どんな生き方を示してくれたのだろうと。そんなことをなぜか考えてしまう。

 この度、レスリーの役者としての代表作のひとつ『さらば、わが愛』(1993)の4K版が<世界最速>で公開されるという。僕としても、ほぼ30年ぶりにスクリーンで本作を見ることができるのがとにかく嬉しい。

 最初の日本公開時(94年)に見たときは、チェン・カイコ―(張藝謀)監督のダイナミックな映像と背景となる中国の戦中戦後史の出来事と大胆な語り口のほうに圧倒されてしまったが、実は京劇の女形の名優に扮したレスリーの演技と表現力こそがこの映画の最大の魅力だったと、迂闊だがあとで気付いた。 

 チャン・イーモウ(張芸謀)監督作品で世界に躍り出た大女優コン・リー(鞏俐)を敵=ライバルとして演技の火花を散らしたレスリーの役者魂を熱く感じながら、この3時間近い大作を今回見直してみたいものだ。

 この原稿は、95年に日中戦争を題材に書いた記事が元で、今回手を入れて(主に戦争に関する記述をカットし)掲載します。

男が男を愛するとき~愛と動乱の50年

『さらば、わが愛/覇王別姫』

「人は他人のために死を選ぶことができるか?

 それはできる。

 男は女のために、女は男のために死を選ぶことができるか?

 それは愛なのだ…。

 しかし、男は、ほかの男を愛するがゆえに死ねるだろうか?

 どうだろう? つまり私が言いたいのは、人はこのような犠牲を、

 異性を愛するときと同じように、寛大な目で見るだろうかということだ。(略)

 

 ある男が、舞台の上でしか他の男への愛を叶えられないとしたら、どうなるのだろうか。

 彼が芝居を人生そのものだと思わざるをえないとしたら?

 彼は舞台の上でしか女になれない。

 いや、それどころか、女に扮したときにしか救いを感じられないのだ。

 だが、彼はやはり男なのである!

 <チェン・カイコ― 日本公開時のプレスシートより)

 

 

1993年 日本公開時の映画チラシ

 93年『さらば、わが愛』は、中国語の映画として初めてカンヌ映画祭パルムドール(同時受賞作はジェーン・カンピオン監督の『ピアノレッスン』)を受賞した作品であり、盟友である『紅いコーリャン』のチャン・イーモウ監督と並び最も国際的な評価の高い、中国映画第五世代に属するチェン・カイコ―監督の代表作である。

 そして、またこの映画は、中国語圏の映画人の新しい形での結びつきによって製作された画期的な作品でもあった。

 かつてアクション女優として鳴らしたシー・フン(徐楓)~キン・フー(胡金銓)監督のアクション映画の金字塔的な作品『侠女』のヒロイン役で有名~が、台湾のプロデューサーとして参画。原作者は香港の作家リー・ピクワー(李碧華)。そして香港の大スターであるレスリー・チャンと中国映画界のトップ女優コン・リーが共演。チェン・カイコ―監督率いる中国映画のスタッフが結集した、いわば、中国語映画圏の才能の結晶ともいえる映画なのだ。

 

 本作は、蒋介石率いる国民党政権下の1920年代から対日戦勝利とその後の内戦、そして60年代の文化大革命を経て、70年代までの半世紀におよぶ中国現代史を背景に、伝統芸能である京劇の希代の名優ふたりの人生を描く。

 主人公、段小樓(チャン・フォンイー<張豊毅>)と程蝶衣(レスリー)は、とも に幼少時から厳しい訓練と合宿生活を送り、衣食住をともにしながら芸道に励んだ親友同士。捨て子だった弱々しい蝶衣はなにかといじめられるが小樓が守ってくれる。そんな関係性だった。

 蝶衣の母は遊女だった。蝶衣を廓ではもう育てることができなくなって劇団に預けて去る。それが永遠の別れだった。冒頭のエピソードは衝撃的な場面(痛い!)もあり胸を打つ。蝶衣役の最初の子役がレスリーの幼少期を想起させ、いつの間にか物語の世界に引きずり込まれてしまう見事な導入部だ。

 

 さて、立派な体格と押し出しで小樓は京劇の立ち役となり、少女と見まごうばかりに美しさが匂い立つ蝶衣は女形となった。

 やがて日中戦争に突入した1930年代、ふたりは京劇の代表な演目「覇王別姫」を当たり役に、京劇界のホープとして一線級のスターに躍り出る。

 ※小樓が演じる覇王は項羽、蝶衣が演じる別姫は虞美人。「四面楚歌」の逸話で有名だ。敵軍の包囲のなか、虞美人は覇王の足手まといにならないよう自ら命を絶つ。

 

  陽気で豪放な性格の小樓は、蝶衣を本当の肉親、弟のように可愛がる。一方、蝶衣は「兄さん」と呼びながらむしろ異性を慕うように小樓を愛するようになっていた…。

 ふたりの強固な関係にヒビが入ったのは、ひとりの女性の介入である。

 小樓が、ヤクザにからまれている高級娼婦・菊仙(コン・リー)を助けたことをきっかけに、菊仙は押しかけ女房として小樓のところにやって来るのである。

 日中戦争激化の中国。嫉妬と混乱の中、失意の蝶衣は、小樓と菊仙と距離を置き、孤独な心をアヘンで満たす日々が続く。

 街ばかりでなく、京劇の小屋も日本軍の監視下に置かれた。楽屋に押し掛けてきた野蛮な日本兵の言動に堪忍袋の緒を切らした小樓は暴言を吐き、日本軍の憲兵に逮捕、拘留される。

 日本軍の責任者の青木三郎(智一桐)が、京劇のファンであることを知った菊仙は、蝶衣に青木の前で京劇の舞いと歌を披露するように懇願する。もちろん小樓の釈放を条件に。

 菊仙は蝶衣に言う。「日本軍は軍用犬に人肉を食わせる連中よ」。だから小樓の命も風前の灯だと。もし蝶衣が頼みを聞いてくれたら、菊仙は小樓と別れ遊郭の暮らしに戻る、と約束する。蝶衣は、小樓のために青木や他の日本軍将校たちの前で「昆曲 牡丹亭」を美しく舞うのだった。

 小樓は無事釈放されるが、恩人である蝶衣に唾を吐きかける。「売国奴!」と。

 

 全編、レスリーの演技は素晴らしいのだが、このシーンの哀切な表情や立ち振る舞いが印象に残る。京劇の女形役の内面を、時に頑固で誇り高く、時に恋する少女のように繊細に演じ切る。

 レスリーはこの映画の撮影で10キロ以上も体重を落としたという。また、レスリーはこの映画の撮影まで「京劇」を見たことがなかったとインタビューで語っている。信じがたいのだが、レスリーは舞台上で京劇のヒロインになりきっているし、さらに舞台の外での蝶衣の人生をも演じ切っているのがすごい。最初は京劇の舞いは代役でという話があったようだが、実際にはレスリーがすべてを演じている。

 

 小樓役のチャン・フォンイーにも触れておこう。こちらも適役だ。小樓は立ち役らしく、大柄で頼りになる男だ。義侠心もあり優しいのだが、蝶衣に対して恋愛感情はなく、蝶衣がどんなに愛そうが永遠に平行線の関係だ。このふたりの役者を配役した瞬間に、この映画の成功は約束されたと思うほどである。チャン・フォンイーは、その後ジョン・ウー監督の『レッド・クリフⅠ&Ⅱ』(2008~2009年)で敵の曹操役を堂々と憎々しげに演じ強い印象を残した。

 

 第二次世界大戦終結後、中国ではその後、国共内戦が勃発する。勝利を収めた中国の軍人たちが今度は日本軍に代わって京劇小屋を占拠することになる。

 観劇のマナーをわきまえぬ粗野な兵士が舞台に上がり、怯える蝶衣を取り囲む。それを見て烈火のごとく怒った小樓は「日本軍とてそんなことはしなかった」ときっぱりと言い放ち、場内は怒号の中で大乱闘となる。

 後日、共産軍の法廷で、蝶衣は日本軍の高級将校の宴会で京劇を演じた「売国奴」として裁判にかけられることになるが、蝶衣は「日本軍は憎い。しかし彼らは私に指一本触れなかった。もし青木が存命なら、きっと京劇を日本へ持っていったでしょう」とむしろ法廷を批判し、一切の自己弁護をしない…。

 

 ふたりの男とひとりの女。日中戦争から国共内戦、そして文化大革命の受難と、過酷な運命にもてあそばれる。本作品は、チェン・カイコ―監督の活力に満ちた演出力で、スケールの大きい叙事詩のような作品となった。

 優美な京劇の世界とは違い、文化大革命を描いた後半の描写はひたすら悲しく残忍だが、これがまぎれもない当時の中国の現実でもあったのだ。

 京劇「覇王別姫」にこんな台詞がある。

「しかし人はそれぞれの運命に責任を負わねばらないのだ」

 本作は映画館のスクリーンで見るべき作品だ!

 

柚木 浩(コミック編集者/映画ライター)
『香港電影城』シリーズの元編集者&ライター。
香港映画愛好歴は、『Mr.Boo!』シリーズを日本公開時に劇場で見て以来か。
火が点いたのは『男たちの挽歌』、『誰かがあなたを愛してる』、『大丈夫日記』、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』あたりから。
好きな香港映画は80年代後半~90年代前半に集中しているが、2000年以降のジョニー・トー作品は別格。邦画、洋画、韓国映画、台湾映画も見る。ドラマは中国時代劇、韓国サスペンス系。