エンタメパレス

映画、海外ドラマ、本を中心に、執筆メンバーの激推し作や貴重な取材裏話など、エンタメ好きの心に刺ささる本音どっさりのの記事をお届けします。

音楽プロデューサーの今だから言えること【プリンセス・プリンセスとゼルダ】(連載6)

 

はじめに。

元ソニー・ミュージックエンタテインメントのプロデューサー今泉雅史です。

「最近のヒットチャートはわからない」「音楽の分断化が進み国民的ヒットがない」「昔の曲がいい、今の曲がいい」とか言い争うのはよしとしても、好きなジャンル以外に関心が無いのは、困ったものだ。

 いま、アイドルの世界では、ジャニーズ問題が大きいが、Jポップスの世界ではアーティストがダイレクトにSNSから発信するスタイル、今までのメーカー、プロダクションの枠を取り払ったミニマムな展開からの自然発生的なヒットの時代を迎えている。

自主制作を超えた新しい配信と、サブスクの時代に、あえて70年代から90年代のアナログからCDへの転換を最大トピックとする音楽業界の派手でキラキラした世界だけでない、約30年間、業界で働いた当事者としてリアルにもう一つの事実を伝える事で、これからの音楽やクリエイティブを担う、担いたいピープルに、温故知新というか、ちょっとしたヒントになればという気持ちから書き記したものです。

 

■PRINCESS PRINCESS(プリンセス・プリンセス)とZELDA(ゼルダ)垣間見た両極ともいうべきガールズバンド2組

 

空前のバンドブームの中、80年代には「女子も黙ってないわよ」とばかりこれまた空前のガールズバンドブームが起こる。その流れの中で僕が直接担当した両極ともいうべき2つのグループの話しをしてみよう。

 まずはZELDA(ゼルダ)世界的なパンク、ニューウェーブムーブメント受けて、日本でも先鋭的で過激な"東京ロッカーズ"に集約されるバンド群が新しい動きを見せていた70年代後半、美大生でベーシスト小嶋さちほを中心に、自由奔放で文学的なバンド、
ゼルダが結成される。(ちなみに1996年に解散、最も長い活動したガールズバンドとしてギネス登録されている)東京ロッカーズと、つかず離れずではあるが、独自の活動を展開、80年代初頭、ボーカルにシャーマン的なサヨコ、ドラムスにリケ女アコ、ギターにハードロッカーのフキエというラインナップが完成した。

 

C‐ROCK WORK

C‐ROCK WORK

  • アーティスト:ZELDA
  • ソニー・ミュージックレコーズ
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 当社に移籍話しを持ち込んだのは、しかし意外にもオフコースカンパニーの社長•上野博、通称マジヨだった。業界でも有数の切れ者として鳴らしていた。
どこか琴線に触れるところがあったのだろう。事務所の意見も大幅に取り入れ、サードアルバムとなるソニー第1弾は、"空色帽子の日"とタイトリングして、ソフトでフェミニン、透明感溢れる佳作となった。

 

空色帽子の日

空色帽子の日

  • アーティスト:ZELDA
  • ソニーミュージックエンタテインメント
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 前作に引き続きムーンライダーズの白井良明プロデュースである。更にイメージチェンジは続く。当時、ボウイやスライダーズのプロデューサーとして大活躍の佐久間正英を迎え、紛れもなくロックな意作、"クロックワーク"をリリースしてから、初期、中期の総決算でオールタイムベストライブアルバム、"Dancing Days"をCD +DVDでリリース、好評を博した。

 そして問題のネクストアルバムだが、メンバーの強い意向で、突然、今までの脈絡関係無く、R&B、ソウル、ファンク、テイストに溢れた"シャウト.シスター.シャウト"をニューヨーク録音する。それは次のアルバム"DROP"と続き、世界観的にもサウンド的にも新しいステージに進んでいった。そのサウンドプロデュースを、ライブサイズのメンバー安倍王子がサポートすることになつた。王子、大変だったね。ご苦労様でした。

 この後16ビートのカッティングは自分のギタースタイルに合わないと、フキエが脱退。ゼルダ自体も契約が終了した。大ヒットには至らなかったけれど自分達の意志を貫き、気負わず無理せず、あくまで楽しく音楽を続けるという彼女達の姿勢は、ある意味正しいかもしれない。なにしろギネスだからね。

 その後、チホはボガンボスのドントと結婚したが、ドントの不慮の死を受けてよりスピリチュアルな方向で音楽活動を続けている。サヨコはアフリカ人と国際結婚、離婚を経て、新規にユニットを結成し今も各地でライブしている。アコは安倍王子達と新バンド結成、CDも発表している。フキエもバンドをつくったが、現在の状況は不明である。いやはや、人生いろいろですなぁ。(遠い目)

 

 

 PRINCESS PRINCESS(略称プリプリ)、。最終的にビッグセールスを遂げ、トップクラスのガールズバンドになるが、その誕生への流れはなかなか複雑である。1983年TDKレコードの企画オーディションでスタート、その名も「赤坂小町」完全なるアイドル狙いであろう。数枚のレコードを発売したが、鳴かず飛ばずだった様だ。メンバーも一念発起、ロックバンド目指して名前も「ジュリアンママ」と変えていた。

 このグループを持ち込んできたのがムーンライダーズの岡田徹、良くも悪くも僕といちばん仕事したかもしれない。ただこの時のメンバーの印象はいまいちだった。成り上がりたい意欲は満々だが話しをしても空回りで、なぜか共感出来なかった。あくまでも僕の感想だから、メンバー並びにファンの皆さん怒らないでね。

 ファーストアルバムは、岡田徹と手掛けたサイズの松浦やヤプーズの吉川洋一郎、作曲家として売り出し中の中崎英也などの新鋭を集め、作詞家陣には松井五郎、麻生圭子などで固め"乙女は、急に止まれない"というキャッチで最先端バンドとして"キスで犯罪''(クライム)で、デビューしたのが1986年だった。

 

The Complete Songs Of Princess Princess

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 ちなみにPRINCESS PRINCESSと改名したのは、オールデイポップス、ジョニーテイロットソンの曲からとったものだが、岡田さん命名になっている。ま、どちらでもいいが。いずれにしても、コンセプトと当人達が全くしっくりせず、更に事務所とも上手くいかず僕は動きが取れなくなっていた。そこにシンコーミュージックから打診があり、社内ディレクターも変わり、新体制でスタート、その後はご存知の通り大ヒットを連発し日本を代表するガールズバンドに成長した。

 奥井香は岸谷香として、この年末年始もツアーを行う。また、バンド"アンロックガールズ”も活動開始している。


【教訓】

 さて、会社員としては、結果的にもプリプリを推しまくるのが、良いのであろう。しかし、興味の趣くままに音楽を追求したゼルダ 、ヒット曲を連発しポップセールスの頂点を目指し実現したプリプリ。どちらも正しいと言えるだろう。よって今回の教訓、アーティストの数だけ、正解がある。どちらに肩入れするかは、どちらを目指すかはあなた次第と言う事である。

 

※文中では敬称は略して表記させていただきました。

 

今泉雅史(音楽・落語プロデューサー、プランナー)
1973年広告会社入社。コピーライターとして企業広告、日産チェリー等を手がける。1975年、ソニーミュージックエンターティンメント(当時はCBSソニー)に入社。洋楽宣伝、大阪営業所販促を経て1980年より邦楽プロデューサー。主な担当アーティストはHOUND DOG(ハウンドドッグ)、PSYS(サイズ)、ZELDA(ゼルダ)、すかんち、the東南西北、溝口肇、白井良明(ムーンライダーズ)など。2007年、カタログマーケティング中心のソニーミュージックダイレクトに移動、YMO、シーナ&ロケッツ、戸川純、等アルファレーベルを担当、2009年から伝統芸能、落語を中心のレーベル、来福を立ち上げる。主な作品、古今亭志ん朝、柳家小三治のDVD全集。春風亭昇太中心の新作ユニットSWA(すわ)のCD.DV D等。2012年退職。フリープロデュサーとして、落語イベント‘’渋谷に福来たる"等のの企画、制作に携わる。