エンタメパレス

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ムーンライダーズ結成50周年ライブと彼等について知っている2、3の事柄。音楽プロデューサーの今だから言えること特別版!

 2026年1月25日、ソニーミュージックのプロデューサーとして深く関わってきたmoonridersの結成50周年ライブが、渋谷公会堂からラインキューブへと変貌したホールで開催された。

 エントランスには、真っ赤な薔薇の花束(薔薇が無ければ生きていけないというリリックのオマージュ)が飾られ、期待感を盛り上げていた。

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 ライブは、1975年記念すべき1stアルバム''火の玉ボーイ"から、飛行を開始したムーンライダーズの22枚のアルバムから選び抜かれた20曲、2時間20分の旅となり、マニアックでありながらまったりとしたバンドとファンの幸せな一体感で包みこまれた。

 意表を突いたサウンドチェック風景を一転させた1曲目は、ハードロックナンバー、''who's gonna die first"
 いきなりのペンライトと、オタクダンスという信じ難い光景が拡がったが、2曲目、3曲目に、天に召されたメンバー、かしぶち、岡田の名曲"砂丘""kのトランク"と続き落ち着きを取り戻した。この間の慶一のMCは、それには一言も触れず、逆に彼等らしい追悼となっていた。
 そして、メンバーが寝っ転がって演奏したり(身体は大丈夫だったのか?)演出のスモークが顔面を覆い、視界を奪ったりと色々ありながら、ラストのアンコール曲"スカーレットの誓い"で最高潮の大団円を迎えた。そんなライブを楽しみながら、僕は取りとめのない回想に浸っていた。

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 50年前、ムーンライダーズ結成と僕のレコード会社勤務スタートが同じ年という偶然は、結果必然のように重なって同じ時代を過ごしたような気がする。

 バンドの音楽性は、フォーク、ロック、カントリー、パンク、ニューウェイブ、プログレ、ワールド、フリージヤズ、オルタネイティブ、AORとアバンギャルドからオーセンティックなポップスまで、まさに雑食性の極み、多種多彩、紡がれる言葉も私小説からSFに至るまで、文学的であり映像的であり、音と言葉という音楽の基本形を先鋭的な光で照らしている。
 その傑出した演奏力による表現は、正しく音楽の風が吹いていて、更に50年間に渡って積み上げられた地層のような深み。岡田徹、かしぶち哲郎の2人を失っても、レジェンドになりつあるメンバーのある種有機的なメタマシーンとしての進化の答えがここにあるのだろう。

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 この無尽蔵な好奇心の取り止めの無さ、全方向に向かう多趣味に加えて、特筆すべきは、江戸〜東京の粋の感覚とシャイさが、このバンドを作り上げてきたと言えるだろう。その真直ぐな気質と、屈折した姿勢に酔ったマニアックな人々に愛されてきた由縁であろう。
 同時に、その強固なコミューンを食い破るようなモンスターヒットが未だ出ていない要因でもある。永遠とも言える課題。エンターテインメントは、常にヒットによって万人に受け入れられる事を目標とするが、それは達成すると同時にその呪縛によって自壊する場合も少なくない。好きな音楽だけをファンに押し付けるだけでは勿論いけない。その微妙なバランスを終始貫いてきた世界でも稀有なグループと言える。
 ま、考察はたくさんの人が展開するだろうし、この辺にしておこう。

 ライブの熱狂の中で、ぼんやりと思い出した仕事仲間の何人かの事を少しだけ。
 まずは、リーダー鈴木慶一。ファミコンゲーム"Mother"のサウンドトラックのロンドンレコーディング。ま、ロンドンというより、その名も温泉で有名なバースという郊外に佇むクレセントスタジオで、ほぼ英国人のアーティストを迎え約1カ月のレコーディングとミックスが実施された。
 現地でオーディションで選ばれた新鮮なメンバーを相手に慶一氏はバンド休止時期でもあり、プロデューサーとしてより自由な音づくりを楽しんでいた。なにしろ、マイケル・ナイマンまで呼んだんだぜ。このスタジオ、裏手に墓地が広がり、泊まっていると夜には俄然ホラーな雰囲気を醸し出し、後に遊びに来たチェリストの溝口肇君とかはちょっとした物音にも怯えていたなぁ。

 静かな街で慶一氏のお気に入りの食べ物は、ガーリックマヨネーズバーガーというボリューミーなモノだった。一度気晴らしに、本場のドーバーソールを食べに2時間かけてドーバー海峡まで行ってみたら、味付けは、テーブル上の塩、胡椒で御自由に!と言われてビックリした思い出もある。

 キーボードの岡田さん、洒脱でスタイリッシュな人だった。ニューウェーブ業界の案内人として、いろんな事を教えてくれた。P SY- S(サイズ)のプロデューサーを依頼した時には、スタジオワークから、スタッフイング、海外録音までレコーディングのイロハを教わりました。
 岡田さんといえば、プリプリ(プリンセスプリンセス)の幻のデビュー作を含むプロ、アマ、インディーズまで女子のグループが大好き、スイーツ好きと相まって彼女たちからも慕われていた。
 特に印象深いのは、当時のファッションリーダー、代官山文化屋雑貨店の島崎夏美とお友達で結成された"チロリン"!楽器演奏は、全て岡田さんでメンバーは、好きな時に好きに叩くパーカッションとこれまた自由なボーカルという振り切ったレコーディング。僕も会社とは関係無く作詩などで参加したのも懐かしい。

 白井良明、下町のギタリスト。自分の結婚式に、木遣りと纏いを振りながら登場という生粋の江戸っ子気質。ザ東南西北、ゼルダ、すかんち等のプロデュース、そして自身のソロ作品と、一時期、一番長い時間を過ごしていたように思う。
 なんといっても、ギター番長を名乗る陽気で豪放な性格、ロックでなおかつ繊細なアレンジと、バンドプロデューサーとして資質に溢れていたから、安心してタッグを組めた。どんなに大変な時も、笑顔で乗り切る頼もしさがあった。プライベートでも、夏恒例の屋形船の会、ワイン、日本酒の試飲会といつた催しにも参加させてもらったり楽しい思い出が絶えない。

 ドラムス担当のかしぶち哲郎、バンドのイケメン部門とロマンティック方面も担当。ダンディな佇まいに、朴訥な栃木弁のコントラストも絶妙だった。彼とは映画の話、いっぱいしたなぁ。もちろん憂愁に満ちたヨーロッパシネマがメイン、とりわけ僕のフェイバリットで、学生時代名画座で20回は観たフランス映画の傑作"シベールの日曜日"がお互い好きという事で大いに盛り上がった。
 しかも、主演女優パトリシア-ゴッジの2作目、"カモメの城"も観ていると聞いて嬉しかった。ヌーベルバーグについても語り合ったものだ。ソロ作品を一枚つくったけれど、やはりヨーロピアンな美学で貫かれたアルバムになった。もっと長い付き合いをしたかったと心から思う。

 閑話休題。厳密に言うと、彼等との付き合いは、1985年岡田さんとの仕事以来だから40年ということになる。長いなぁ。いずれにしても、彼等の50年、そして、これからの50年?!に期待しつつ、出来るだけ共に、歩んでいきたいものだ。"いつまでもあると思うなムーンライダーズ''という終演後のアナウンスを思いながらも、ひとまず50周年をめでたくエネルギッシュに乗り越えて次に向かう彼等にエールを送りたい。キープ・オン・ロッキン!

 

今泉雅史(音楽・落語プロデューサー、プランナー)
1973年広告会社入社。コピーライターとして企業広告、日産チェリー等を手がける。1975年、ソニーミュージックエンターティンメント(当時はCBSソニー)に入社。洋楽宣伝、大阪営業所販促を経て1980年より邦楽プロデューサー。主な担当アーティストはHOUND DOG(ハウンドドッグ)、PSYS(サイズ)、ZELDA(ゼルダ)、すかんち、the東南西北、溝口肇、白井良明(ムーンライダーズ)など。2007年、カタログマーケティング中心のソニーミュージックダイレクトに移動、YMO、シーナ&ロケッツ、戸川純、等アルファレーベルを担当、2009年から伝統芸能、落語を中心のレーベル、来福を立ち上げる。主な作品、古今亭志ん朝、柳家小三治のDVD全集。春風亭昇太中心の新作ユニットSWA(すわ)のCD.DV D等。2012年退職。フリープロデュサーとして、落語イベント‘’渋谷に福来たる"等のの企画、制作に携わる。