エンタメパレス

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音楽プロデューサーの今だから言えること【最後のレジェンドバンドMOON RIDERS (ムーンライダーズ)の凄みと多面性】(連載10)

はじめに。
元ソニー・ミュージックエンタテインメントのプロデューサー今泉雅史です。
「最近のヒットチャートはわからない」「音楽の分断化が進み国民的ヒットがない」「昔の曲がいい、今の曲がいい」とか言い争うのはよしとしても、好きなジャンル以外に関心が無いのは困ったものだ。
 いまアイドルの世界ではジャニーズ問題が大きいが、Jポップスの世界ではアーティストがダイレクトにSMSから発信するスタイル、今までのメーカー、プロダクションの枠を取り払ったミニマムな展開からの自然発生的なヒットの時代を迎えている。
 自主制作を超えた新しい配信と、サブスクの時代に、あえて70年代から90年代のアナログからCDへの転換を最大トピックとする音楽業界の派手でキラキラした世界だけでない、約30年間、業界で働いた当事者としてリアルにもう一つの事実を伝える事で、これからの音楽やクリエイティブを担う、担いたいピープルに、温故知新というか、ちょっとしたヒントになればという気持ちから書き記したものです。

最後のレジェンドバンドとも言えるMOON RIDERS 、メンバー2人の喪失を乗り越えて進み続ける!

 

 月光下騎士団、MOON RIDERSである。結成された1975年は、僕がCBSソニーに入社した年だ。結成50年になる。だからという訳では無いだろうが、彼等は妙に気になる存在ではあった。そして1985年、当時の洋楽部長(仲人も引き受けてもらった)から、「ちょっとちょっと」と声がかかった。「君の希望が叶う事になったよ。次の異動で邦楽の制作だ」

 青天の霹靂とはこういう事だろう。確かに学生時代バンド活動もしていた僕は、入社試験で邦楽制作を志望していたが「君は洋楽が詳しそうだな」と言われて洋楽宣伝へ。ちょうどサイモン&ガーファンクルとかブルース・スプリングスティーンとかボストンとか、エアロスミスとかビリー・ジョエルとなかなかCBSレーベルが盛んな頃で、主にFM局、F M誌等を担当。クオーターフラッシュのライブ取材でハワイに出張したり、大阪営業所勤務も経験し、まずまず楽しくやれていて、洋楽部門を離れるとは全く思ってなかった。学生時代に齧った音楽事務所関係のコネクションもすっかりなくなって、(そして僕は途方に暮れる〜♪by大沢誉志幸だった。)

 そんな時思い出したのが、大学の後輩バンドのサポートでピアノを弾いていた人、確かプロミュージシャンだよなぁと、最初に会ったムーンライダーズが岡田徹である。

 岡田さんは先鋭的なところとオーソドックスなところのバランスが非常に優れていた。人当たりがよく、人をまとめるプロデュース能力が高かった。

 PSY•S(サイズ)のプロデュース、初期のプリンセス・プリンセス等が岡田さんが関わった主な仕事だったが、細かい仕事も数えると相当になる。いまは無き『文化屋雑貨店』のカリスマ店員だった島崎夏美をはじめ素人の女の子たちを集めて『チロリン』というグループをプロデュース。僕もサポートして詩を書いた。話題性と岡田さんのファンの力でなんとアルバムを3枚もリリースした。

 岡田さんは大のスイーツ好きで女子との打ち合わせはほとんど洋菓子店、ケーキが食べられるところだった。仕事にもプライベートにも細かいこだわりがいろいろあって、仕事中に出前で取ったかた焼きそばにカラシがついてこなかったときは「かた焼きそばにカラシはマスト!!」と普段は温厚な岡田さんがなぜか激怒していたことが記憶に残っている。

 ちなみに、お父さんはNHKのチーフプロデューサーで、子供の頃チキンラーメンのCMに出ていた。「でもブタの役じゃないよ」というのが鉄板のネタだった。

 ま、長い付き合いでふたりでやる仕事のときは洒落で互いの苗字から「今岡商会」なんて名乗った事もある。

 そんな親しみと信頼を深めてきた岡田さんが2023年に亡くなったときは大ショックだったが、なんといってもムーンライダーズのメンバーを微に入り細に入り紹介してくれた事には本当に感謝しかない。

 

岡田徹forever

岡田徹forever

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 そうそう彼等の自称他称のニックネームを含めてメンバーを紹介しておこう。鈴木慶一vo.gtr=帝都の重鎮、岡田徹kb=鍵盤の貴公子、白井良明gtr=6弦の至宝、かしぶち哲郎ds=孤独の鬱王、武川雅寛(通称クジラ)vio=湘南の荒鷲、鈴木博文bass=湾岸の岩窟王、それにしてもかしぶち君、クジラ君、ふーちやん、音楽にも、楽器にも関係ないよね。

テクニック的にも素晴らしいこのバンド、いい曲はたくさんあるがヒットらしいヒットも無いのに業界には不思議な人気があって必ずサポートメーカーがあり、そのアップ・トゥ・デートで変幻自在なサウンドや、主に鈴木博文ことフーちゃんの文学的な歌詞に惹かれる人が、沢山隠れてるというなんだろうなとは解釈している。

 僕は直接にバンドを担当することは無く、仕事はまず糸井重里制作のゲーム、鈴木慶一音楽『Mother』のサウンドトラックのロンドンレコーディングから始まった。本作は世界中で聞かれ、凄まじい反響だった。収録されたセブンメロディは教科書にも掲載され、まさにクラシックな名曲だろう。ニンテンドーがファミコンゲームに力を入れ出したハシリ、1989年の事だつた。マザーは第2作も制作され世界のマニアのココロを掴んでいる。

 

 

 

 その後、慶一とはアレンジ仕事はあったが、ソロを制作したのは2008年"ヘイト船長とラブ航海士"を、サニーデイサービスの曽我部恵一にプロデュースを任せるという斬新なやり方で完成させるまで待つ事になる。

次に白井良明は、岡田徹と同じ立教大学卒業、という事で誘われてライダーズに加入したそうだ。ギタリストとしてももちろん、その極めて高いプロデュース能力で、僕ともZELDA(ゼルダ)、Scanch(すかんち)、the東南西北等々を手がけた戦友である。そしてアーティストとしても契約。まさに時代を反映した“カオスでいこう''を発売。上野公園に集うイラン人にインタビューし、楽曲にするなど斬新な方法論で迫ったのが、1992年続いて得意中の得意、自らのサーフギターをフィーチャーしたバンド『サーフトリップ』を結成したのが1996年。この頃から、何故か“ギター番長”を名乗リだしたがまさにピッタリ!

 何故か岡田ソロは、ソニーの別セクションのディレクターが手を挙げて担当した。

 最後に、ライダーズで1番早く天に召されたかしぶち哲郎の最後のソロ“L'Gran”は、彼の持ち味であるヨーロッパ・ロマンティックの世界の集大成を見せてくれた。2009年の事だ。

 と、書き連ねていると、実に僕の制作人生は、ムーンライダーズという不世出のある意味東京を代表するバンドと共に時代を走ってきたという事になるのかも知れない。

【教訓】音楽的にも人間的にも信頼し任せられる音楽仲間を作っておけるといいね。迷った時とか指針になるようなね。

 

※文中では敬称は略して表記させていただきました。
 
今泉雅史(音楽・落語プロデューサー、プランナー) 1973年広告会社入社。コピーライターとして企業広告、日産チェリー等を手がける。1975年、ソニーミュージックエンターティンメント(当時はCBSソニー)に入社。洋楽宣伝、大阪営業所販促を経て1980年より邦楽プロデューサー。主な担当アーティストはHOUND DOG(ハウンドドッグ)、PSY•S(サイズ)、ZELDA(ゼルダ)、Scanch(すかんち)、the東南西北、溝口肇、白井良明(ムーンライダーズ)など。2007年、カタログマーケティング中心のソニーミュージックダイレクトに移動、YMO、シーナ&ロケッツ、戸川純等アルファレーベルを担当、2009年から伝統芸能、落語を中心のレーベル『来福』を立ち上げる。主な作品、古今亭志ん朝、柳家小三治のDVD全集。春風亭昇太中心の新作ユニットSWA(すわ)のCDやDVD等。2012年退職。フリープロデュサーとして、落語イベント‘’渋谷に福来たる"等の企画、制作に携わる。