香港の映画館で映画を見る
僕が香港映画に夢中になったのは80年代中頃だからずいぶん昔の話だ。85年12月に初めて香港へ旅して、エネルギッシュな街の魅力の虜となった。
それ以降、毎年のように香港に行き、映画館(戯院という)で香港映画を地元の人たちの喧騒とともにライブ感覚で見る楽しみを覚えた。
香港の映画館では中国語字幕と英語字幕が並列で表示される形式だ。まあ内容は十分理解できてはいないけど、なんとなく分かるし、なにより広東語の響きが面白くて、聞いているだけで音楽のように心地良い。
週末の深夜興行(午夜場という)のときには若者たちがグループでやってきて、流れるエンディング曲を合唱したりしていていた。
スクリーンに向かってツッコミ入れる客も多くて、それもすごく楽しかった。何を言っているのかは分からなくても。
前置きが長くなったが、このコーナーでは香港の映画館で見た映画体験の思い出を書いていきたい。僕ではない人にも書いてもらおうと思います。
かつて輝いていた香港の街への哀惜もふくめて…。
『恋する惑星(重慶森林)』(1994)
94年7月、僕は香港にいた。
その後「香港電影城」という本を一緒に作ることになる漫画家の友人たちと一緒で、その日は『重慶森林』という映画の公開初日だった。映画館は美麗華戯院だった。
重慶森林は実在する有名な重慶大厦(雑居ビル)のこと。「チョンキンマンション」と呼んでいた記憶がある。なんというか、玄関フロアからして怪しげな両替商がいくつも店開きしていて、中は電気部品屋とか服飾ショップや安宿や安食堂や危なそうなマッサージ屋などがひしめいている。映画の前半部分にこのビルが出てくるのだが、まさに香港っぽさ全開の場所だ。
この映画は今でも思いつくと時々リピートしている。2019年以来香港には行っていないが、見るとめちゃくちゃ香港に行きたくなる。香港の街並みや雑踏や匂いが無性に恋しくなる映画だ。音楽もすごくいい。
「その時、彼女との距離は0.1ミリ。57時間後、僕は彼女に恋をした」。
冒頭の金城武演じる若い刑事のナレーションが印象的だった。
でも、香港で見たときはこんなかっこいいセリフとは思っていなかった。
のちに映画館やソフトの日本語字幕版で見ると、この手のかっこいいセリフや「5月1日賞味期限のパイン缶」を探す話など、村上春樹的な記号があふれている。
この時、僕は金城武をまだ知らなかった。香港の若手イケメン俳優くらいに思っていた。金城武を「きんじょうぶ」と脳内変換して読んでいたわけだ。
劇中、ミッドナイト・エクスプレス(中環の実在する店)の横の公衆電話で電話をかけまくっている金城が突然なめらかな日本語で話し始めたときにはびっくりした。
今DVDやBlu-rayソフトにはないセリフだが、金城が受話器に向かって日本語で「えー、結婚しちゃったの? 誰と? まさか三浦友和と?」と話し始めたときは、僕ら日本人観客だけ先に笑ったのを覚えている。満員の地元観客は字幕を見てその後どっとウケた。1秒差くらいだがほんのささやかな優越感だった。王監督は公開後も編集を変えるので公開版もいろいろあるようだ。
トニー・レオン&フェイ・ウォンの後半も抜群に面白いのだが、僕は金城とサングラスの謎の女(ブリジット・リン)がからむ前半のエピソードが気に入っている。製作時、チョンキンマンションの撮影許可が下りなくてゲリラ撮影したという映像は、臨場感と疾走感に溢れている。
何かすごく新しい映画を見た感覚に酔いながら、チョンキンマンションのすぐ横のインペリアル・ホテルの2階だったか3階だったかの狭い部屋に帰った。ネイザンロード添いの部屋だ。夜になっても、チョンキンマンションの周辺は男たちが瓶ビールを立ち飲みしながら大騒ぎをしていて、歌を歌ったり叫んだり楽しそうだ。
騒音でなかなか眠れず、でもなんだかあの映画を見たあとにふさわしい夜だなと思っていたら、いつの間にか深い眠りについていた。
柚木 浩(コミック編集者/映画ライター)
『香港電影城』シリーズの元編集者&ライター。
香港映画愛好歴は、『Mr.Boo!』シリーズを日本公開時に劇場で見て以来か。
火が点いたのは『男たちの挽歌』『誰かがあなたを愛してる』『大丈夫日記』あたりから。
好きな香港映画は80年代後半~90年代前半に集中しているが、ジョニー・トー作品は別格。
邦画、洋画、韓国映画、台湾映画も見る。ドラマは中国時代劇、韓国サスペンス系、
『ブリッジ』『キリング』など北欧ミステリー系も好き。